2015年4月4日土曜日

三原じゅん子参院議員(自民)と「八紘一宇」

敗戦の年の12月15日に、
連合国軍総司令部(GHQ)が日本政府に交付した「神道指令」において、

「八紘一宇」は「大東亜戦争」とともに「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザル」語として
公文書で使用するこ とが禁止された。

このGHQ見解を今もそのまま踏襲して「アジア侵略を正当化する理念だった」
(「東京新聞」平成27年3月19日付)などと断定する手合いがあちこちに見られる。

「東京裁判」ではかなり突っ込んだ論議が交わされたことが、裁判の「速記録」から分かる。
それは「八紘一宇」に充てられた訳語が多様なことからも推察できる。
eight corners of the world under one roof のような直訳は僅かで、
概ね making the world one homeといった翻訳がなされている

最も注目すべきは判決文である。 判決では、「八紘一宇」は
「帝国建国の理想と称せられたもので、その伝統的な文意は、究極的には、全世界に普及する運命をもった人道の普遍的な原理以上の何ものでもない」と明言している。
つまり「侵略思想ではなくて、人道的な普遍の原理」

東京裁判で日本人弁護団の副団長を務めた清瀬一郎は、
事実問題で立証に成功したのは、
「八紘一宇は侵略思想でないということ」の他には一件あるだけと回 顧している。
裁判官にとっては、日米交渉の出発点で提示された日米諒解案での「八紘一宇」の訳語である 
universal brotherhood  が印象深かったのかもしれない。

こうした経緯を見れば、
大東亜戦争を遂行した意義と、八紘一宇という理念の本義を踏まえた上での、
三原議員の発言を頭から否定するのは、
浅はかと言わざるを得まい。

尚、1919年2月13日、パリ講和会議の国際連盟規約委員会において、
日本全権の牧野伸顕は、連盟規約に「人種差別撤廃」を盛り込むことを提案した。 
日本は、国際会議において、人種差別撤廃を明確に主張した、世界で最初の国である。 
日本人は、この事実を忘れるべきでない。

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