2015年3月31日火曜日

マッサン、 客船で一人旅、 欧州航路

1918年(大正7年)、マッサンは、神戸から日本郵船の大型客船、香取丸9849トンの3等室に乗り込んだ・・・・・・と想像しよう。

3等室は、今も昔も変わらない船の最下層の大部屋だ。 共同トイレで共同浴室だ。 しかし、若いマッサンにはまったく苦にならず、むしろ、いろいろな船客と仲良くなり、一緒に船旅を楽しんだことでしょう。

前回記事で紹介した船旅の宣伝パンフレットの続きを見てみよう。

・・・・・・ 船内には、和洋の書籍、楽器、蓄音器、碁、将棋その他の運動遊戯器具も備えています。 甲板には、お客様用に、籐の肱掛椅子や長椅子を配置しています。 広い甲板の長椅子に横臥して、青い空と青い海の水平線を眺めたり、または読書に耽ったりするのは、海上旅行においてのみ得られる楽しみです。 また熱帯航海中は、上甲板に清鮮な海水を湛えて、大きな水泳プールを設け、長い航海中のお客様が退屈しないよう心がけています。・・・・・・

船賃が高いだけあって、いろいろ気を使い、サービスに努力しているのが良く分かります。

さて、寄港地と碇泊日数を見ると、アジアでは、上海に2泊、香港に1泊、シンガポールに1泊している。

上海、香港、シンガポールは、当時、イギリスの植民地または準植民地であった。 マッサンは、これらの都市に上陸して、当時の大英帝国の強大な威勢を実感したのではないだろうか。

<上海バンド>



上海では、香取丸は黄浦江にあった大日本帝国総領事館の近くに接岸したのだろうか。 マッサンは、バンドに立ち並ぶ、立派な西洋建築ビルディングを眺めて、さぞ感激したことでしょう。

上海を出港すると、5日間の航海で、香港に入港する。 香港でも、マッサンは上陸して、下の写真のビルディングの前に立って、ユニオン・ジャックの英国国旗を見上げていたかもしれません。

<香港>



香 港を出港して、6日間の航海で、シンガポールに入港する。 シンガポールまでの船客も大勢居たと思われる。 横浜からシンガポールまでは3等で49円、ロンドンまでの約7分の1の船賃だ。 それでも、現在価格で15万円から20万円くらいの感覚だ。 マッサンは、シンガポールでも上陸してラッフルズ・プレイス辺りまで見学したかもしれない。

<ラッフルズ・プレイス>




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